内田篤人移籍先はドイツ2部ウニオン・ベルリンで再起をかける地として選んだ経緯と嫁や子供への思い

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内田篤人が移籍先がドイツ2部ウニオン・ベルリンと発表し再起をかけます。移籍を決断する迄の葛藤や嫁や子供への思いもさらりと話しています。また内田篤人のかつてのチームメイトからのメッセージなども集めました。

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内田篤人移籍先はドイツでベルリン

内田篤人移籍先を決める時にこだわったこと

内田篤人は移籍先のドイツ2部ウニオン・ベルリンで、8月23日の初練習に参加後ベルリンのホームスタジアムで記者会見し、ドイツ国内の移籍にこだわった理由などについて語りました。

「日本に帰ったらもう(ドイツに)戻ってこないと思ったからね、俺の性格上。このまま日本に帰るのも、ちょっと心残りがあった」
「チームの目標はね、たぶん1部(昇格)。それに協力したい」
「1部から2部ということにも特に抵抗はなく、良いスタジアムと良いファンがいれば、そこで仕事がしたいという気持ち」
「コンディションはいい。早く公式戦に出たい。準備はできている。試合に出られればポジションはどこでもいい」
「ここの1年(試合出場の)チャンスを待った。けがが良くなってコンディションも上がった。練習で毎日100%やるっていうのもプロだけど、俺が思っているのは、やっぱり試合に出るっていう方がプロフェショナルなんだよね。そこはサクッと(移籍を)決めましたよ」

「こんなに早く移籍が決まって嬉しく思っています。また、これからどんな事が起こるのか今から楽しみです」とも語っていました。
 

内田篤人が移籍先のチームに『ウニオン・ベルリン』を選んだ理由

「シャルケと対戦するチーム(への移籍)もちょっとなあっていうのもあったし、全然知らないところ(クラブで)も」
と語り、シャルケと対戦の可能性が低い、もしくは「ない」チームであることも好条件だったということですね。

内田篤人自身が語った移籍についてのコメントを引用します。

ウニオン・ベルリンに加入したDF内田篤人が、記者会見で移籍を決めた背景などについて語っている。
内田は先日、シャルケから2部のウニオン・ベルリンへ移籍。シャルケで2年間、ともにしたイェンス・ケラー監督との存在が大きかったともされたが、内田はそれだけが理由で移籍を決断したわけではないと強調する。
「監督がすべてでここに来たわけじゃないです。もちろん一緒にやっていて性格とかプレースタイルとかわかっていてもらえるのはありがたいですけど、監督がいるからここに来たんじゃなくて、シャルケで自分の置かれている状況も頭に入っていましたし、2部に行くっていうのも別の僕の中では特に抵抗もなく、スタジアムと良いファンがいればそこで仕事がしたいなっていう感覚でした」

「イェンス・ケラー監督のことはよく知っています。またこのチームのビジョンは非常にはっきりしています。私はこのプロジェクトをさらに進める役割を担うこと、また再びサッカーが出来ることに対しとても幸せを感じています」

内田篤人はイェンス・ケラー監督がいたからウニオン・ベルリンに決めたわけではないと話しています。
これから新しいチームでポジション争いが始まるわけです。内田篤人にとって慣れている右SBのポジションを獲得して、また俊足で走り抜けるプレーが見たいものです。

シャルケのブルーのユニフォームからウニオン・ベルリンの赤を基調にしたユニフォームに変わりました。
メディカルチェックもパスしたということは、心配だった右ひざも治ったということですね。今後の内田篤人の活躍が楽しみです。

内田篤人移籍先は嫁や子供のためでもある?

内田篤人は幼なじみの榎田優紀さんと結婚したのは、怪我で戦線を離脱している期間でした。大怪我をした後のリハビリを経て、ブラジルでのワールドカップに強行出場した為、怪我が再発し2015年6月に右膝の手術を受け、シャルケから離脱していた期間の結婚で子供もうまれています。内田篤人の怪我の回復に時間がかかり、復帰してからも主戦力として使われることがなかったわけすから、ドイツで結婚生活を始めてからは殆ど出場機会を得ていません。内田篤人は今回移籍にあたってのインタビューで嫁に対しての気持ちが垣間見える発言をしています。

「奥さんになってからは、スタジアムで(試合をしている姿を)見せてないから。俺がやっているところを。小学校、中学校って、散々見てきたけど、スタジアム、でかいスタジアムで、結婚してからは(見せてないから)」

内田篤人はドライなイメージで通していましたが、こんな発言もするのですね。

内田篤人は女性ファンが多く、近づいてくる容姿端麗な女性も多かったようですが、サッカー選手の自分に好意を持ってくれているというのは『違う』という意味合いの発言を度々していました。サッカー選手以前の自分を知っている幼馴染を結婚相手と決めていたのですね。

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内田篤人移籍で7年間在籍したシャルケ

内田篤人の移籍は退団の意思表示をしてから数日で決定しました。『ウッシー』と呼ばれ、シャルケのサポーターにも人気がありました。
シャルケから内田篤人のウニオン・ベルリン移籍が正式に発表され、クラブのフェイスブックにファンたちは書き込みをして『ウッシー』を激励したようです。

内田篤人移籍に関する記事です。

7年間シャルケで過ごしてきた内田は、負傷の影響でここ2年半はほとんど実戦に出場できず。ここ半年間はやや軽度の負傷で練習を休むこともあったが、コンディションを実戦に臨めるほどのレベルに戻せていた。しかしドメニコ・テデスコ新監督の構想に含められていないことを知らされ、同選手は恩師イェンス・ケラー監督が率いるウニオンに向かう決断を下すことになった。

そんな内田の移籍についてシャルケは、現地時間22日午前10時までフェイスブック上4つの投稿に渡って“お別れ”を告げている。クリスティアン・ハイデル取締役による移籍の経緯に対する説明を含めた移籍の正式発表、内田がマークした公式戦における2ゴールの映像、内田の名場面37枚を揃えた“ベスト・オフ・ウチダ”と題された写真ギャラリー、ドイツ代表DFベネディクト・ヘヴェデスが自身のSNSで「全てありがとう、ウッシー!」との感謝の言葉ととも投稿した内田とのツーショットのシェアと続いた。

 

内田篤人は2010年に鹿島アントラーズからシャルケに移籍をし、加入直後からレギュラーとして定着し、在籍7年間で公式戦152試合に出場しました。シャルケに移籍した頃の初々しいエピソードや、東日本大震災の時に日本に向けて発信したメッセージも思い出されます。当時シャルケのゴールキーパーをしていたノイアーの内田篤人に対する暖かい眼差しも忘れられません。

 

内田篤人は沢山の功績やチームメイトとの思い出があるシャルケを後にして、新天地を目指す決心をしたのですね。
 

内田篤人の移籍先ウニオン・ベルリンとは

本拠地: シュタディオン・アン・デア・アルテン・フェルステライ
監督: イェンス・ケラー
所属リーグ: 2. ブンデスリーガ
設立: 1966年1月20日
本拠地: ベルリン

・ヘルタ・ベルリンに次ぐ首都を本拠地とするクラブでは2番目に大きい
・昨シーズンは、あと6ポイントで入れ替え戦となる3位まで6ポイントと躍進した。

内田篤人のウニオン移籍に親友ドラクスラーや日本代表時の仲間の反応

ユリアン・ドラクスラーは2010〜2015年にシャルケに所属していた選手です。内田篤人は2010年にシャルケと契約しドイツに渡っているので、ユリアン・ドラクスラーはシャルケでの選手生活に大きな影響を与えた一人だと思います。

 パリサンジェルマン所属のドイツ代表MFユリアン・ドラクスラーは、やはり親友の動向を見逃すことはなかった。SNSを通じてシャルケを離れブンデスリーガ2部ウニオン・ベルリンに向かった内田篤人にエールを送っている。

 内田は21日、過去にはシャルケの指揮官を務めた経歴を持つイェンス・ケラー監督率いるウニオンに加わることが発表。そして、その数時間後にそれを受けたドラクスラーは自身のインスタグラムやフェイスブックを更新した。

 シャルケユニフォームを着た内田の写真を添えたメッセージはドイツ語、フランス語、英語で「幸せと幸運を、ウッシー」(ドイツでは愛称は「ウッチー」ではなく「ウッシー」)。ハッシュタグには四つ葉クローバーのアイコンや「友達」などを選び、その親しい関係をうかがわせている。

 ドラクスラーは去年12月に、内田がレッドブル・ザルツブルク戦で1年9カ月ぶりに試合に出た時にもSNS上で喜び、3月27日の内田の誕生日も忘れずにお祝いしている。どのクラブで、どこの国でプレーすることになっても、ドラクスラーは見守っていくに違いない。

内田篤人はその人柄やサッカーに対する姿勢などにより、シャルケに移籍してから随分沢山の選手たちと親交を深めてきました。お互いにシャルケを離れてもエールを送り合える存在であることは素敵なことですね。

そして日本の仲間もエールを送っています。
内田篤人との仲の良さと言ったらやっぱり吉田麻也ですよね。1つのイヤホンを2人で片方づつ耳にして音楽を聴いていた映像が目に浮かびます。もう2人とも結婚し家庭を持っているんですね。いつまでも変わらない仲の良さで頑張って欲しいです。

欧州組の仲間の長友もメッセージを送っています。
いつだったか『情熱大陸』の内田篤人の特集で一緒に洋服を選んでいたのを思い出します。

ブラジルでのワールドカップから早2年、最近ではかつての主力が怪我で日本代表を離脱している話題を耳にします。内田篤人の場合は先のワールドカップに間に合うかどうかの大怪我をしていた上でのリハビリ生活。そして復帰してすぐブラジルのピッチに立っての全力戦でした。ワールドカップ前の1年はシャルケで絶好調で試合に出ていた時に怪我が再発していましたし、ずっと怪我続きの上でのリハビリ生活を終えたばかりだったので、ワールドカップ後の怪我の再燃を心配していました。かなり無理をしていたのではないかと思われます。その後大きな手術を受け復活を目指しました。復帰までに随分長い時間が必要になってしまたのだなと改めて思います。

表舞台から離れた時間に結婚・子供誕生とプライベートを充実させての復帰なので精神面での不安はないでしょうから、良い機会に恵まれて、結果を出して欲しいと思います。
チャンピオンズリーグで優勝カップをチームメイトと共に代わる代わる高く上げていたあの光景をもう一度見てみたいです。

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東京在住の主婦です。 自分が困ったことや興味があることを自分自身の経験を織り交ぜてブログを書いています。 同じことに興味があったり悩んでいる方の参考になれば幸いです。お気軽にご閲覧下さい。